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2月26日(土)・27日(日)、東京・中野のセミナープラザ東中野において、第47回の経営管理者講習会を開催しいたしました。若く才気あふれる講師陣によるインパクトある講義内容を報告します。

会社にお金が残らない本当の理由 税理士、マーケティングコンサルタント 岡本 吏郎 氏

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 商法では「相当の償却をしなさい」となっている。しかし私たちの決算書では実態にあった減価償却を行っていない。税金をとる人間が決めた耐用年数だから、おのずと長くなる。そのため1回の減価償却費は小さくなり、決算書上は利益が出ているのにお金がないということになる。
 例えばロードサイドのレストランの建物は耐用年数30年だ。しかし実際には3年から5年でリニューアルを行わなければ売上げが下がり、商売にならない。そうすると最初の償却が終わらない間に次の投資が必要となる。従って決算上は利益が出ているが、お金が残らなくなる。
 今の決算書は税務を計算する書類にすぎない、と言いう。
 岡本氏は税務のための決算書と商法の決算書と2つの決算書を作るべきだと訴えている。
 また役員報酬は自分のものではない。とも言う。社長は日本では借金の連帯保証人にさせられる。したがって役員報酬から内部留保しておく必要がある。サラリーマンの給料1000万円と役員報酬の1000万円ではまったく意味が違う。
 岡本氏は健全な経営を行うために3つの提案をしている。
(1) 商法の決算書をつくる
(2) 仕事は前倒しで行う
(3) 役員報酬は自分のものではないと考える
そのほかにも数々の示唆に富んだ話が語られた。<西川芳雄>


26才、熱血社長―倒産寸前から奇跡の年商70億を遂げた男達の戦い― (株)エスグラントコーポレーション社長 杉本 宏之 氏

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杉本氏は、茨城県に生まれ、生まれた年に父親が事業に失敗し、ジャガーに乗っていた生活から転落し、各地を転々とする厳しい生活に見舞われた。13歳の時に貧乏でまともに病院に行かせられず母親を亡くす。高校ではグレて父親と刃傷沙汰になり、19歳の時に、父親の蒸発をキッカケに不動産会社に就職し再生する。「年収1000万円可能!完全実力主義!!」という会社で、「3年連続トップセールス」を記録し、課長職まで上り詰めた。
24歳の時に「自社ブランドのデザイナーズマンション」をという想いがつのり独立を決意、(株)エスグラントコーポレーションを設立した。
しかし毎月赤字の連続、金融機関も不動産業者も相手にしてくれず、遂には資本金が底をついた。独立する際、出資をしてくれた方に、涙ながらに「もう1回だけチャンスがほしい!!」と懇願し、1千万円貸してもらった。
「経営者意識」を自覚し、満身創痍で事業に取り組んだ結果、ある金融機関が取引をしてくれるようになり、急速に売上が伸び始め、今期は140億円を計上するに至った。
「トップが大事だ。経営者の舵取りで会社は大きく変わる。公私に関わらず、24時間365日、土日休みなしで経営が出来て初めて会社を伸ばせる。」杉本社長のこの言葉を聞いただけでも価値ある講演であった。<山辺直樹>

正氣経営 一谷 時寛 氏

一谷氏は「日本の靴下屋」で有名な(株)ダンの越智直正社長の社員教育を担当されている先生として有名だ。山深い吉野において鍛錬の道場を開いておられる。
正気経営とは、なんだろうか?物事にはその本質と中心がある。重要点がまた存在する。例えば企業の本質とは何だろうか?企業における本質的役割とは、利益を追求することだ。
企業における中心は?おのずと知れたこと社長である。では重要点は?例えば立地・技術・サービス・信用・資産・意識などなどがある。
では社長の本質とは何だろうか?社長の本質は方針の決定だ。社長は会社を統率していかねばならない。当たり前のことだがなかなか気がつかないことだ。社長は常に問題を提起してゆかねばならない。
孟子の言葉の中にこんな言葉がある。「天はその人に解決できる試練しか与えない」。個人においても企業においても、与えられた試練は解決できると言う事になる。
社長業とは孤独でつらいものだ。しかしその社長に元気がなかったら会社はだめになる。もてる力を出し切ったときに、新たな力がわいてくる。声は心の響き、眼は心の窓、挨拶は心の扉。叱る、ほめるは愛情がなければできない。幸せの根本とは、いい人間関係に恵まれることだ。「天のまさにその人に大任を降さんとするや、必ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その身を空乏にし、その為さんとするところに、その行うことを払乱せしむ」(孟子)<飯島浩> 

日本経済の変化にニックはどのように対応したか (株)ニック会長・本協議会相談役 西川 芳平 氏

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:昭和20〜29年の約10年間における日本経済は「敗戦」「猛インフレ」「ドッチライン」「シャープ勧告」「1ドル360円」「朝鮮戦争」という言葉に示唆された時代であった。
:昭和30〜45年の約15年間における日本経済は「高度成長期」「所得倍増計画」「人手不足」「賃金上昇」「ベトナム戦争」となる。
 この当時のクリーニング業界は、低賃金、長時間労働の職人や小僧の世界であり、若い人は他の業界に就職していった。
 ニックは、・世間並み給料は払う。・春闘の平均上昇率は昇給する。・1日8時間労働制、残業手当はキッチリ払う。・毎週日曜日、休業。といった思索で対応した。これにより、人は定着したが賃金比率は上昇した。
 昭和38年、西川氏(現在会長)はアメリカ視察旅行で、日本との違いに驚いた、ここでユニット論やマーケティングを学び帰国した。帰国後スパーマーケットの勉強会に参加する。
:昭和46年〜平成元年の約18年間における日本経済は「ニクソンショック(ドル安)」「石油ショック」「狂乱物価」「低成長」「プラザ合意(ドル安)」「バブル景気」「株・地価上昇」。
 クリーニング業界においては、集中工場、取次店の増加、安売りという時代であった。
 ニックは、昭和45〜48年と連続してユニットショップを出店し中野から郊外に拠点を移し、5年間の借金を3年で全額返済した。このころ社員にも家を買うようにすすめた。昭和59年中野の店を売却し、同時に3店舗出店した、このことにより売上が6倍に増えた。
:平成2年〜現在までの約16年間における日本経済は「バブル崩壊」「株・地価急落」「大不況」。
 クリーニング業界の需要は、平成4年をピークに下落する、需要ギャップが増大する。
 ニックは、人材が差別化の最大であるとして対応した。平成6年から大卒の新卒者を毎年募集し現在24名になった。
 西川氏は、平成11年に社長から会長へ就任した。現在自社内において、クリーニング大学を設置し人財の育成に力を注いでいる。市場経済にニックがどのように対応してきたか、西川会長の経営力、幹部の管理力、社員の現場力が三位一体となり今のニックがあるのだと思う。<加藤潤一>

業績予測による先行管理経営 (株)ラッセルマネジメントパートナー社長 亀谷 長志 氏

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1.経済情勢と時流
バブル崩壊後失われた10年と言われていたが、GDPは伸び続けておりフローの動きは堅調であった。ストック資産の下落が問題であったのだ。そして報道の仕方にも問題があり、百貨店、スーパー等の売上減ばかり強調されていたが、他方コンビニ、通販、インターネット業界は成長の一途で全体では国内消費は決して冷え込んでいない。消費形態が変化したのである。この時流の変化に乗じた企業が現在勝ち組になっている。

2.銀行とのつきあい方
これまでの銀行は担保主義であり、業績よりも不動産担保あるいは経営者の人柄(実績)などで借り入れが可能であった。しかし現在はキャッシュフロー重視の姿勢に変化し、今までのような付き合い方では借り入れは難しい。今までは会社の過去(不動産担保、経営者の人柄)の実績に貸し出したが、現在は会社の将来(健全なキャッシュフロー、経営計画等)に貸し出す姿勢になっている。

3.先行管理経営の構築
計数管理のポイントは3つ・必要キャッシュフローの確保・安心現金預金の確保・計画的な設備投資、である。今月末をどう乗り切るかではなく、来年の2月の現預金残高を見据えた資金繰り、計画投資が肝要である。
現業はバッチリだけど資金繰りや借り入れは先代(創業者)まかせの二世の皆さん。先代のやり方ではもう銀行とはうまく付き合えません!業績予測による先行管理経営は将来が見え、金融機関対策にもきわめて有効です。亀谷先生にお世話になって3年、私もやっと銀行と対等に話が出来るようになりました。        
<小泉希仁>

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